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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-05-31 第196回国会 参議院 法務委員会 第13号

戦前東京帝国大学教授法学部長を務め、戦後も最高裁判所判事などの要職を歴任されました、民法、特に家族法の権威で家族法の父とも呼ばれました穂積重遠先生は、大正十年に刊行された「民法総論」の中で、成年期を繰り下げて、例えば満十八年としたらどうであろうかと記しておられます。  ただし、こうも述べておられます。

中西健治

2011-04-20 第177回国会 衆議院 法務委員会 第8号

これは、穂積重遠という、戦前児童虐待防止法の立法にも関与した方の意見でございますが、そのような議論がありまして今日に至っております。  今回、法制審におきましても、権利義務というのをどのようにするのか、例えば、義務を先にして、義務及び権利というふうにしてはどうかというようなことも議論されたところでございます。  

大村敦志

1978-04-27 第84回国会 参議院 文教委員会 第9号

和辻哲郎、それからゲーテを研究した木村謹治博士、仏教の宇井伯寿、それから社会学経済学高田保馬博士、それからマルクス経済学河上肇博士西田幾多郎博士阿部次郎穂積重遠、フランス文学辰野隆、まだ幾らも続きますけど、どんなに続けてみても教育学の分野でそれに相当する人というのは出てきませんね。これは教育学自身の中に短所があるのかもわからない。それは、目的は倫理学方法心理学だと言われています。

有田一寿

1966-03-16 第51回国会 衆議院 法務委員会 第15号

坂本委員 そこで、その候補者を選出されるについて、委員会は、長官候補者として東大の南原繁氏、それから穂積重遠氏、それから弁護士は、有馬忠三郎氏、竹田省氏、この方々をあげられたけれども、いずれも辞退されて、裁判所側の推す三淵氏が長官に就任された、こういうふうに聞いておりますが、この点は間違いないでしょうか。

坂本泰良

1966-03-10 第51回国会 衆議院 法務委員会 第13号

そしてその中で庄野裁判官がおやめになりまして、そのあと穂積重遠さんが裁判官おなりになりました。そこで学識経験者が六名、弁護士会から入られた方が四名、裁判官からなられた方が五名、こういうことになったわけでございます。ところが穂積裁判官がおなくなりになりまして、そのあと小林裁判官おなりになったわけでございますが、小林裁判官は在野からお入りになったというように一応考えられておるわけでございます。

矢崎憲正

1962-03-16 第40回国会 衆議院 外務委員会 第13号

これは委員長にお願いをしたいのですが、ほんとうにタイがこの三十年協定は間違っていたと言っているのかどうか、三十年協定の九十六億を投資及びクレジットにする、こういうことは、これは間違いなんだが、間違っていたのだと言うのかどうかは、ちょうど幸い当時のタイ総理大臣であったピブンが新宿区払方町の元穂積重遠邸におりますから、これはやはり国会に一つ参考人なり何なりとして呼んでこの間の経緯を明らかにする必要がある

横路節雄

1950-03-09 第7回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

またこれを選任いたします内閣は、最も愼重な態度で、最も誠実にこれが選考に当るべきでありまして、現在の裁判官の大部分は、憲注施行直後に一つ選任方法を考えまして、それによつて選ばれた方々でありますが、御承知のように、最近穂積重遠博士裁判官に任命しましたことと、さらに最も最近におきまして、田中長官最高裁判所長官に選びましたこととは、この内閣が責任を持つて当りましたことであります。

殖田俊吉

1947-10-27 第1回国会 衆議院 司法委員会 第50号

さらに親族、相續問題につきましては、その權威者でありまする穂積重遠博士なども、日本の家族制度の中にも非常によいものがある。この完成したところの縦の道徳に加えて、その弊害を除去して、横の道徳を加えて、その交叉點をもつて將來の民法は改正をいたさなければならないということを指摘いたしております。

山口好一

1947-08-20 第1回国会 衆議院 司法委員会公聴会 第1号

なお本日御出席をいただきました公述人方々の御氏名を申し上げますれば、穂積重遠先生柳田國男先生眞野毅先生井上登先生、吉田三市郎先生中島弘道先生永田菊四郎先生眞杉静枝先生Lうなお川島武先生がおいでになつておりません。以上八名の方が御出席なつております。  ではまず家督相續廢止の問題を中心としまして、御意見を承りたいと存じます。眞野毅君。

松永義雄

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